何か一生懸命にやったときに、成果が思ったほど出なく、がっかりしたことはありませんか?
僕は貧乏性なのか、おせっかいなのか、時間があるといつも何か用事を作ってしまいがちです。2004年に、うちの教会で行われたTSUNAMIというイベントがありました。そこではオーストラリアから毎年夏にやってくるYouth Aliveチームを迎え、キャンプとコンサートを行いました。
僕はそのコンサート部門を担当させてもらったのですが、このときの状況が、ちょうど上記のような感じでした。企画、チラシやチケットのデザイン、Tシャツ、演奏、ビデオ作成、会場設営、などなど・・・、本当に一生懸命やりました。心の中では「これだけ一生懸命やったんだ。会場は溢れんばかりの人で埋め尽くされ、大盛況のうちに終るだろう」と思っていました。二日公演の初日、ふたを開けてみると、会場にはほとんど人がいなくて、出演者のほうが多いと思われる様子でした。自分も出演していたのですが、本当に会場から逃げ出したい気持ちでした。神様に「こんなに一生懸命準備してきたのに、このありさまはなんですか?」と怒りにも似た祈りをしました。その日の2回目の公演をやめようかと思いました。しかし、神様は僕の心に「あきらめるんじゃない。もう一回やるんだ」語りかけてくださったのです。
大きな不安と少しの希望が渦巻く中、二回目の公演が始まったとき、会場は溢れるばかりの人で埋め尽くされ、みんなで飛んだり跳ねたり、とても楽しいライブになりました。
これと同じような話が聖書にもあります。
ゲネサレ湖というところで、イエス様が話を仕様としているとき、二艘の船に目が止まりました。そこでは漁師がせっせと網を洗っていました。多くの人が押し寄せてくると危ないと感じたイエス様はそのうちの一艘に乗り込んで、少し沖に漕ぎ出してもらい、そこから人々にお話をしようと考えました。
話が人段落すると、その船に一緒に乗り込んでいた持ち主のシモンという人に、「さあ、もっと沖に船を漕ぎ出して御覧なさい。たくさんの魚が取れますよ。」といわれたのでした。そこでシモンは「先生(イエス様のこと)、おれたちは夜通し一生懸命働いたんですぜ。なのに魚一匹取れなかった。それに長年、ここで漁をしてきた。だからここのことは良く知っている。今の時間は無理ですって。でも、まあ、先生がいうならやるだけやってみるか。」といってしぶしぶながら沖に行って網を下ろしました。すると、網が破れるほどの魚がかかったのです。その魚の多さに驚いたシモンはひとりではどうすることも出来ず、大声で仲間を呼びました。何事かと思って陸から眺めていた仲間は大急ぎでシモンの所まで来て助けました。やっとのおもいで魚を船にあげると、二艘とも沈みそうなほどの魚が取れたのでした。
一生懸命がんばることは素晴らしいことです。しかし、ひとりで的外れなことをがんばっていたのでは、短い人生を無駄にしてしまいます。もちろん、神様は全てを働かせて駅としてくださる神様なので、今までの人生は無駄ではありません。しかし、もっといい方法が、もっといい進むべき方向があるはずです。イエス・キリストはあなたの進むべき道を照らしてくださいます。そして、あなたが頑張って何かをして、たとえ結果が出なくても、「大丈夫。頑張って。もう一度トライしてみなよ。」と励ましいてくださいます。
するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」
そして、そのとおりにすると、たくさんの魚がはいり、網は破れそうになった。(ルカ5:5~6)